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町並み保存

ページID:0132019 更新日:2022年3月1日更新 印刷ページ表示

内子の町並み保存

町並み保存運動の胎動

 昭和40年代は高度経済成長の中で全国的に開発が進み、地方の画一化やスクラップアンドビルドの波の中で、歴史的な建物が急速に失われていく時代でした。地方では過疎が大きな問題になり、地域の存続が危うい状況も生まれていました。 
 そのような中、文化庁は昭和47年に全国の集落町並の調査を実施。八日市・護国の町並みも調査リストに入りました。時を同じくして、住民の中からも町並み保存運動を提唱する声が上がり、教育委員会を中心に保存の方策について検討が始まったのです。しかし、古い民家を保存するということは、個人の資産である住宅や土地に制限がかかるということにもつながります。住民の理解は簡単には進みませんでしたが、先進地視察や研修、勉強会を重ね、また多くのメディアに取り上げられ、徐々に保存の機運が高まっていきました。

昭和30年代頃の護国地区の様子

内子町のまちづくりの根底

 昭和52年度には文化庁及び広島大学の鈴木充教授の指導・協力により本格的な調査が行われ、全国的にも屈指の町並みという評価を受けました。町は保存条例や補助制度を整備するなど保存対策を進め、徐々に町並み保存の機運が醸成する中で、昭和57年、四国で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今日に至ります。
 内子町の町並み保存の目的は、そこにあるものを生かすまちづくりにあります。都会を目指すのではなく、歴史・風土に培われてきた伝統や文化に価値を見出し、まちに誇りを持って人々が暮らすまちづくりです。この考え方を根底に、内子町のまちづくりは進められています。

八日市護国地区町並保存会などの皆さん

守られた内子座

住民の熱意で復活した町のシンボル

 内子座は大正5年、地元の旦那衆18名が発起人となり、創建された木造芝居小屋です。今なお生きる芝居小屋は、内子町民の誇りとなっています。
 開場以降、歌舞伎や文楽、活動写真など、さまざまな興行に使われてきましたが、戦後は映画館、商工会の事務所と変遷をたどりました。その後、老朽化に伴い解体するという案が浮上。駐車場にいう声もありましたが、折しも町並み保存運動が軌道に乗り始めた頃。内子座を残したいという有志の努力で、昭和57年に建物が町に寄贈され、本格調査を実施。同年9月には町指定文化財となり、昭和58年から3年かけて修理・復元されました。

2016年2月に創建100周年を迎えた内子座

今を生きる芝居小屋「内子座」

 復元後は、住民による興行グループや劇団が結成され、再び活気を取り戻しています。現在は、歌舞伎や文楽などの伝統芸能だけでなく、住民の芸能発表会などにも使われている内子座。文化の殿堂として親しみと誇りを持たれ、多くの人々から愛されています。平成27年には創建100周年を迎え、同年、重要文化財に指定されました。これを機会に「内子こども狂言くらぶ」が発足し、子どもたちが狂言を学んでいます。ここに集う子どもたちは、学年や学校の枠を超えて交流を深めつつ、伝統芸能に触れる機会となっています。
 また、町内に滞在して、一つの作品を仕上げるアーティスト・イン・レジデンスの取り組みも始まっており、内子町の芸術文化振興の一翼を担っています。

内子町の芸能文化の殿堂

魅力1 「まちづくり」
魅力2 「環境保全・景観保全」
魅力4 「子育て・ふるさと教育」
魅力5 「交流・コミュニティ」
内子町勢要覧