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移住者インタビュー(Ko-ki Karasudaniさん)
人との繋がりの中で生きている実感 Ko-ki Karasudaniさん(平成30年・松山市から移住)
○内子町への移住のきっかけ
生まれ育った松山市から2019年に内子町へと移住してきました。一番大きなきっかけは、地域おこし協力隊で小田地区にやってきた東京大学院生・岡山さんとの出会いでした。
共通の知人から『面白い人が小田地区に来る』と紹介してもらい、ちょうど仕事を辞めて環境を変えたいタイミングだったので、お会いしてみようと思い小田地区に来ました。そのとき岡山さんから『どい書店の建物に住む』という話を聞きました。岡山さん一人で住むには大きすぎる物件(10LDK)で、もしや一部屋間借りできないだろうかと思い、『一緒に住んでいい?』と訊くと、岡山さんからOKが出ました。彼も私も同世代で、違う土地から内子町へ来た共通項があったのが良かったのかもしれません。そこから一緒に住み始めたというのが、小田地区へ移住した経緯になります。
ひとつ補足すると元々小田地区には親戚がおり、全くの見ず知らずの土地ではなかったことも挙げられます。
大学卒業後に松山市のとある会社で営業の仕事をしていましたが、職場環境が合わずメンタルの調子を崩した結果、その会社を1年半ほどで退職しました。退職後は松山市の実家で暮らしながら療養していましたが、働いていないことへの後ろめたさを感じていました。
環境を変えてみるには見知った松山市のような人の多い土地ではなく、ほぼ知らない、良い意味で人の少ない・人のノイズの少ない田舎で住む選択肢もありだなと思っていたときに内子町への移住のチャンスがやってきました。
小田地区に住み始めて驚いたことは、挨拶の文化でした。老若男女問わず、道ですれ違えば挨拶をする。生まれ育った土地ではそういう習慣がなかったので驚きました。
また、当時の私は20代半ばにもかかわらず平日の昼からその辺を散歩してて『あいつ何してるんだ』と思われてもおかしくないのに、そんな私にも小田の人は普通に『こんにちは』って挨拶をしてくれる。たったそれだけのことですが、自分という存在が「居ても良い」のだと感じた気がして当時とても救われました。

⚪︎映像関係の仕事へ
今の仕事を始めるまで映像の仕事に従事した経験はありませんでした。大学時代に映画鑑賞の楽しさに目覚め、中でも小津安二郎監督作品に魅了されたことから映像業界への道を考えた時もありましたが、“生活のための仕事”にするにはハードルが高いと一度その道を断念しました。
しかし退職後に当時から持ち続けていた映像への興味をきっかけとして、知人ミュージシャンの弾き語り姿を撮影しミュージックビデオを制作。その映像をポートフォリオにし、知人の紹介で小田のとある企業から「映像を作ってほしい」と声をかけられ、そこから仕事が広がり現在の映像作家・映像制作業としての道筋へ繋がりました。
2019年の内子町への移住直後には林業の業界からのお仕事をよくいただきました。今でも林業に関わる仕事はやっています。
次年からはコロナウイルスの流行から映像配信やオンライン用映像コンテンツの制作需要が格段に高まったので、軌道に乗せていく過程での仕事・収入的には助かった面がありました。
最近では少しずつ町内の文化芸能・史跡のアーカイブ映像を撮影・制作するお仕事が増えてきました。地域に残る伝統的な獅子舞を、踊れる方がご健在の内に記録として残したり、城跡・史跡の現状を撮影して映像記録を作成するなど。映像制作というとテレビやYouTubeのエンタメ系の映像制作を想像すると思いますが、それだけでは無く、この土地・エリアで、地域の文化的・歴史的なものを映像で後世に残すような仕事があります。ここに住みながらでしか出来ない仕事・制作には非常にやりがいを感じる部分でもあります。
いろいろな巡り合わせもあり住み始めた内子町。来たからには町に馴染むことが大事だと感じました。町内会に参加したり獅子舞に参加することで自分の仕事を認知していただいたり、野菜をもらったり(笑)など、人との繋がりの中で生きている実感を得られるようになったと思います。その繋がりに感謝しながら生活し、いまのスキルを地域へ還元しながら暮らしていきたいです。
☆広報うちこでのKo-kiさんの過去の活動紹介
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2025年9月インタビュー Writer:曽我美 なつめ Edit:水本 誠時(内子町移住コーディネーター)






