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町長室へようこそ

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年9月18日更新

9月3日 町長あいさつ

 少しずつ秋の気配を感じるようになりました。今年の夏は本当に暑かったですね。台風もとても多く接近し、例年にない異常な状況でした。

 さて、8月は第22回内子座文楽が行われました。教育委員会の皆さま、関係する職員の皆さま、手伝っていただいた皆さま、そして住民で構成した実行委員会の皆さまにご尽力いただきました。本当にありがとうございました。残念ながら裏ツアーは中止になりましたが、前夜祭は例年以上の盛り上がりの中、執り行うことができたのではないでしょうか。内子座文楽がこんなにも全国の皆さまから愛され、内子まで足を運んでくださるということをあらためて実感しました。

 人間国宝の吉田和生さんのふるさと西予市は「平成30年7月豪雨」で大きな被害が発生しました。吉田さんは被災地に思いをはせながら、精いっぱい人形を操っておられました。そして演目が終わると万雷の拍手が会場を包んでいました。今も脳裏に浮かんでいます。職員の皆さまも、来年はぜひあの感動を味わってほしいと思います。日本を代表する素晴らしい文化です。それが内子座で鑑賞できる。素晴らしい舞台が近くにあるということを、皆さんも再確認してください。

 先人から脈々と受け継がれてきた内子の文化は、他にもたくさんあります。先日、妻と愛媛県生涯学習センターの夏季企画展「高畑誠一~現代に繋がる総合商社の創立~」に行って来ました。そこで改めて、内子町出身である高畑さんの偉大さを感じました。内子小学校の正門には、彼の記念碑が建っています。明治20年に内子町でお生まれになり、旧制西条中学校(現在の愛媛県立西条高校)、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を卒業され、後の日商岩井(現在の双日株式会社)の前身であります神戸の鈴木商店に入社されました。そして25歳のとき、鈴木商店の番頭であった金子直吉さんに才能を見出され、ロンドン支店長に抜擢されます。時代は第一次世界大戦の真っただ中でした。大英帝国が大変な時代。高畑さんは本国を介さない三国間貿易を日本人で初めて手掛けるなど、鈴木商店の拡大に大きく貢献されました。

 そこで考えるのは、なぜ高畑さんは英語が堪能だったのか――。実は内子にイギリス人の先生がいたようなのです。そのイギリス人からネイティブな英語を学んでいたのでしょう。これには驚きました。明治時代の内子でイギリス人が英語を教えていたのですから。また内子には尚武会という野球クラブがあったのですが、正岡子規とは違うルートで内子に野球文化が入ってきたようなのです。何か面白い歴史があります。そんな環境で高畑さんは大きく成長され、後に双日株式会社となる日商岩井の立ち上げに尽力されました。貿易立国日本をつくった第一人者です。そして旧内子町時代から続いていますのが、内子町の中高生が進学する際の奨学資金「高畑奨学資金」。また内子座文楽では、鈴木商店の流れをくむ神戸の鈴木薄荷株式会社が毎年協賛していただいています。小説家の玉岡かおるさんが鈴木商店を物語に書いた『お家さん』という舞台では、女主人の鈴木よねを演じたのが内子町応援大使の竹下景子さん。そういった意味では、いろいろなことがつながっているように感じます。

 何が言いたいかというと、偉大な先輩が貿易立国の立役者だということではありません。町の人たち、特に若者に伝えたいのは「高畑さんのように生きよ」ということです。大きな志と熱い情熱で、大きな夢を描いてほしいということなのです。ぜひ内子の先人から学んでほしい。そして、仕事にも生かしていただきたいと思います。

 さて、私と議長は9月5~10日まで、姉妹都市でありますドイツのローテンブルク市へ行ってまいります。ローテングルク市とロシアのスズダル市の交流30周年を記念した式典に出席するためです。今回、フランスのアティスモン市とともに内子町も招かれました。内子町も30年以上の交流を続けてきましたが、改めて今の交流が未来につながるものにしなければならないと思います。