平成24年 年賀交歓会での町長挨拶
皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、昨年は日本の歴史に刻まれるであろう3.11の東日本大震災がございました。町民の皆様方からたくさんの義援金や応援物資を送っていただきました。また、町職員14名を被災地へ派遣し、町としてできる限りの支援や対応をさせていただきました。しかし未だに終息の見通しは難しい状況であり、引き続いて日本国民が力を合わせて応援していかなければならないと思っております。
そのような中、内子町では町民待望の医療法人弘友会「加戸病院」の移転があり、11月中旬から診察が始まりました。町にとっても大きな前進であったと思っています。加戸病院様に対し、心から厚く御礼を申し上げる次第であります。本当にありがとうございました。これから順次、体制も整います。町内の開業医の皆様方と加戸病院様、そして行政がタッグを組み、町民の皆様の命を守ることに頑張っていきたいと思います。
さて、国の方では年末年始にかけて社会保障と税の一体改革がいよいよ大詰めを迎えています。
ご承知のように政府・民主党案では消費税を2014年に8%、15年に10%と段階的に上げていくことが決まりました。これから通常国会に提案され、国会で本格的な審議がされることと思いますが、政局がらみになるのかは分かりません。しかし、これから社会保障費が年間1兆円ずつ増えてくるという日本の国のありようの中で、大きな意味を持つのではないかと思っています。
今から50年ほど前は現役世代9人で1人の高齢者を支えていましたが、現在は3人で1人を支え、2025年には1.8人で1人、さらに2055年には1.2人で支えることになるという非常に大変な時代が来ます。若い人たちに今の2倍も3倍も負担をかけるようなことでいいのか、また600万人を超える団塊の世代が高齢化の社会に入るという状況の中で、どのように構造的に改革しながら社会保障費を賄っていくのかということを考えた場合に、私は消費税のアップはある意味仕方がないのではないか、やらざるを得ないのではないかと思います。
しかし、国は人事院勧告に基づく国家公務員の給与改定をせず、給与削減特例法案も通りませんでした。また国会議員の数の定数も減らしていません。このような状況の中で消費税アップだけが議論されて本当に良いのかと思います。あわせて、国が進むべき方向、成長産業をどう考え、日本という国がどう稼ぎ出すのかということを明確に出すべきではないか、もっともっとアクセルを踏み込むことが大事になっていると思います。
同時に、消費税は、その5%のうち1%が地方消費税として地方自治体に配分されており、内子町にも約1億5千万円が入ってきております。消費税を10%とした場合は、地方が2%弱で、残りを国に分けるということですが、果たしてこれでいいのかという疑問があります。本来、国がやらなくてはならない子育て支援策などの社会保障について、内子町だけではございませんが、全国の地方自治体がたくさん実施しているのが現状です。そういうことを国はどうとらえているのか、今後大きな問題になってくるのではないのかと思います。
いずれにしても、今後の動向に注視し、同時に私たちの暮らしの中にそれらがどう入ってくるのかということもしっかりと見ておかなくてはならないと思っています。
東日本大震災で浮き彫りとなった原発ですが、特に伊方原子力発電所の問題に、私たちは正直言って今まであまり真剣に考えてこなかった面があります。しかし福島県の東京電力原子力発電所の状況を見たとき、このまま原子力発電に依存をする社会を続けていいのか。少しずつでも依存度を下げていく方向に、私たち人間の英知を傾け、税金をつぎ込んで考えていかなければならないと思います。もし事故が起こった時にあれだけのリスクを負うことを考えた時に、今までのような社会をこれからも続けていいのかどうか真剣に考えなければならないと思います。
内子町においては、地域防災計画の見直しは喫緊の課題です。来年度から国や県の動向を見ながら取り組まなければならないと思っています。
また小田地区における幼稚園・小学校・中学校の一体的な整備や五城保育園の整備に向けた取り組みなど、次年度も諸々大きな課題がございますが、皆さん方と一緒に力を合わせて頑張っていきたいと思います。
こうした混迷の時代だからこそ、人間の英知が必要です。人間には他の動物にはない想像力があります。私たちは、このような混迷の時代をどのような方向で見れば良いのか。今、何が人間にとって大事なのかいうことを考えたとき、江戸時代の儒学者・山田方谷が「友に求めて足らざれば、天下に求む。天下に求めて足らざれば、古人に求む」と言っています。
内子町には、明治27年に建築された建物、上芳我家がございます。昨年の秋、3年の歳月を費やして重要文化財の建物を復元しましたが、これが創建された年は日清戦争が始まった年であります。明治37年には日露戦争が始まりました。この時代の日本を取り巻く環境は大変な時代ではありましたが、芳我家の皆様方は、木蝋の生産・加工、そして販売に努められ、明治26年のシカゴ博覧会に出品して銀賞を、明治33年のパリの万国博覧会にも出品されて銅賞を受賞されています。この小さな町の一人の人間が、もうすでにその時に海外に目を向けながら新しい時代を乗り切って行こうとされたわけであります。
昨年の12月24日に、内子座で、みかん一座による「オーロラに駆けるサムライ」というミュージカルが公演されました。私も出演させていただき、緊張いたしましたが、良い経験をさせていただきました。これは和田重次郎氏のことをミュージカルにしたものでございます。和田重次郎氏は、19世紀末に17歳でアメリカに渡り、犬ぞりを使いながら油田を開発したり、金鉱を発掘したりされた方です。また松山にお住まいのお母さんにずっと仕送りをされていた、親孝行な大冒険家でありました。その子孫が和田利百さんでございますので、内子町と非常に縁の深い方であります。
このような人たちの生き様を見ておりますと、やはり気概を持って生きて行くこと、志をしっかり持って生きて行くこと、このことを学ぶことが大切だと思います。私たちは先人の皆様方からの教えをしっかりと学び、受け止めて、素晴らしい町にして子どもたちに伝えて行く役割があると思います。
私たちを取り巻く環境は非常に困難な時代であります。しかし、町民の皆様方と共に力を合わせて次の世代にバトンタッチできる内子町を創っていきたいと思っています。私自身、一期目の最後の年、4年目に当たります。内子町政発展のため全力でアクセルを踏んで取り組んで参りたいと思います。
引き続き、本日ご出席の皆様方の温かいご指導・ご鞭撻を心からお願い申し上げまして、簡単ではございますが年頭のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。
