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立川神楽

名称 | 立川神楽 |
指定区分 | 内子町指定 |
種別 | 無形民俗文化財 |
指定年月日 | 昭和57年9月29日 |
所在地 | 川中 |
保持団体(保存団体) | 立川神楽保存会 |
概要
喜多郡一宮三島神社では古来、神職を中心に出雲流の神楽が奉納されていました。享和2年(1802)2月5日に火災にあったことで社殿が炎上したことで、以降は神楽舞の中に鎮火の舞が取り入れられたと伝わっています。
明治中期から喜多郡神職取締支所によって統制が取られるようになり、神楽組もしくは神楽部員として認可された人たちによって執り行われるようになりました。当時は立川神楽組として舞継がれていましたが、現在は立川神楽保存会として内子町内で唯一神楽を継承しています。
明治中期から喜多郡神職取締支所によって統制が取られるようになり、神楽組もしくは神楽部員として認可された人たちによって執り行われるようになりました。当時は立川神楽組として舞継がれていましたが、現在は立川神楽保存会として内子町内で唯一神楽を継承しています。
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