本文
高昌寺伽藍

名称 |
高昌寺伽藍 |
指定種別 | 内子町指定 |
種別 | 有形文化財(建造物) |
指定年月日 |
昭和44年6月19日 |
所在地 | 内子町城廻117 |
所有者 | 高昌寺 |
概要
護国山高昌寺は泰雲寺(山口市)の流れをくむ曹洞宗に属するお寺です。本尊は聖観世音菩薩であり、二十四カ寺の末寺があります。起源は嘉吉元年(1441)、大功円忠和大和尚が常久寺の地に寺院を草創し、護国山浄久寺と称したと言われることにあります。その後、天文2年(1533) 4世 益応玄巨大和尚の時に護国地区の鎌谷山に移し「鎌谷山浄久寺」と称しました。当時の領主であった曽根高昌が深く帰依し、当家代々の菩提寺として保護したことから弘治2年(1556)、高昌の死後に公の諱をとって高昌寺と改称したと伝わります。
元文2年(1737)に再び山号を護国山と改め、近郷住民の信仰の中心となっていましたが、文化4年(1807)12月14日、堂宇修理中に火災にあい、山門を除く大半を焼失しました。文化5年に再建へ着手し、良材を得るため大洲藩主加藤家10代 泰済に請願したことで、本堂の戸・柱・襖・欄間・天井などにクス材を用いた、別名「伊予の楠寺」と呼ばれる寺院が文政5年(1822)頃に完成しました。
元文2年(1737)に再び山号を護国山と改め、近郷住民の信仰の中心となっていましたが、文化4年(1807)12月14日、堂宇修理中に火災にあい、山門を除く大半を焼失しました。文化5年に再建へ着手し、良材を得るため大洲藩主加藤家10代 泰済に請願したことで、本堂の戸・柱・襖・欄間・天井などにクス材を用いた、別名「伊予の楠寺」と呼ばれる寺院が文政5年(1822)頃に完成しました。
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>