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高昌寺伽藍

更新日:2025年1月22日更新 ページID:0142282 印刷ページ表示
高昌寺伽藍

 

名称

高昌寺伽藍
指定種別 内子町指定
種別 有形文化財(建造物)
指定年月日

昭和44年6月19日

所在地 内子町城廻117
所有者 高昌寺

 

概要

 護国山高昌寺は泰雲寺(山口市)の流れをくむ曹洞宗に属するお寺です。本尊は聖観世音菩薩であり、二十四カ寺の末寺があります。起源は嘉吉元年(1441)、大功円忠和大和尚が常久寺の地に寺院を草創し、護国山浄久寺と称したと言われることにあります。その後、天文2年(1533) 4世 益応玄巨大和尚の時に護国地区の鎌谷山に移し「鎌谷山浄久寺」と称しました。当時の領主であった曽根高昌が深く帰依し、当家代々の菩提寺として保護したことから弘治2年(1556)、高昌の死後に公の諱をとって高昌寺と改称したと伝わります。
 元文2年(1737)に再び山号を護国山と改め、近郷住民の信仰の中心となっていましたが、文化4年(1807)12月14日、堂宇修理中に火災にあい、山門を除く大半を焼失しました。文化5年に再建へ着手し、良材を得るため大洲藩主加藤家10代 泰済に請願したことで、本堂の戸・柱・襖・欄間・天井などにクス材を用いた、別名「伊予の楠寺」と呼ばれる寺院が文政5年(1822)頃に完成しました。