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高橋家の歴史
「高橋本家」は、歴史を遡ること400年。
近江の国神崎郡の城主高橋対馬守秀久が織田信長に滅ぼされ、その二男助右衛門尉重久が五百木村(内子町長田)に移住し、この地の豪族となり、文禄4年(1595)には大洲藩から五百木村の庄屋を命ぜられたのが始まりといいます。
以来、代々庄屋を勤め、屋号を「五百木屋」と称しました。
分家である内子の「高橋家」は藩政時代大洲藩の財政を支え、宇和島藩へも出入りがあり、郷土の遇せられていました。
広大な免地を与えられ、大洲藩の御厩小頭を勤め、田地を領する一方で大規模な酒造業を営み、内子町の経済を発展させた旧家です。